庄内藩が江戸取締りの任にあった時の配下の浪士組織「新徴組」が、庄内へ移住する際、藩が1870年(明治3年)、鶴岡の大宝寺と道形の間に建てた137棟の住宅を「新徴屋敷」と称しました。


その内の約30棟を1875・6年(明治8・9年)頃、松ヶ岡開墾場の組小屋として移したもので、やがて開墾士の住宅となったものです。石屋根平屋建。(1986年(昭和61年)移築復元、羽黒町指定文化財)